ふじたです。

ふじたです。でもきょーへーのほうが親近感わくのできょーへーって呼んでほしいです。

見えない何か、その何かこそ信じる価値があって・・・。

気づけば残り2ヶ月で2015年も終りを迎えてしまいますね。

なんと驚くべきことにまだ彼女はいないので、女性の皆さん、チャンスですよ!!←はい、自粛します。

 

 

最近、シェアハウスの隣に神社があるということで毎日朝のちょっとした時間に挨拶しに行くことにしています。

 

それで人生よくなるかとかわからないけど、

そういうことにこそ意味を感じるのです。

 

 

3年間ビジネス関係でガンガン動いて、去年起業もして、それなりに資本主義まっしぐら、成果主義バンザイ!ってかんじで音速の3年間を過ごしてそれなりに成長してきたのですが、振り返ってみるとその3年間の人生の満足感ってすごーく低かったのかな~って。

 

それで思い返してみると、やっぱり人の想いとか、愛とか、絆とか、信頼とか、そういったことは関わった時のほうが楽しい、嬉しい。

 

 

すべて目に見えない。

言語化しにくい。

科学的に証明しにくい。

 

だからこそ、信じ難い。

今は多くのものが言語化されるし、

資本主義の中ではそういったわかりやすいものが顕在的に求められるから。

 

 

でもでも、

やっぱり人生大事なことってそんなんじゃない。

 

お金はわかりやすいよ。

車もバッグもパソコンもわかりやすい。

イケメン、美女もわかりやすい。

 

でもそこじゃない。

わかりやすいものも大事だけどその重要性って高くない。

 

わかりにくいものにこそ大事なことが隠れてる。

 

 

 

神社にいくこと

毎日祈りをすること

お金にならないようなことをすること

 

わかりにくいよ。

わかりにくいから、共感されないかもしれないし、

わかりにくいから、周りから避難されるかもしれない。

 

 

でもそこは信じる。

信じることは絶対に大事だから。

 

 

ほんとはみんなわかってるのに、

わかりにくいから目を背けてるんだ。

 

 

理解する努力をしよう。

そしてそれを伝える行動を起こそう。

 

 

これに具体的な意味があるとは思わないし、

朝の時間はすごく貴重で、分刻み動いてるくらいだけど、

 

でもそれでも、神社の隣に住んでいるという御縁を感じ、

縁を信じ、

 

挨拶しに行こうかなって。