ふじたです。

ふじたです。でもきょーへーのほうが親近感わくのできょーへーって呼んでほしいです。

生き急いだ3年間

最近自分のキャリアについてすごく考えていて、

今後どうしていこうかなー?って1人で考えていてブログ更新していませんでした。←言い訳です。ごめんなさい。

 

でも色々見えてきたことあったので、

ちゃんと時間を取れてよかったなー。と今では思ってます。

 

 

振り返れば、どんな時にも何か1つのことに偏った3年間だったなと。

 

大学1年生の時は大学うぇいうぇいして楽しんで、

 

 

大学2年生の夏にバンクーバーに行ってから、

自分の使命は何か?

自分は何のために生まれてきたのか?

 

 

って毎日それの追求。結局わからず、(わかるはずもなく)

自分のやりたいと思ったことをひたすらやる。

でも今だけじゃなくて未来も見据えて動かないといけないことを感じてビジネスの世界に足をつっこみ、操作主義、成果主義、結果に執着することばかりやってきて、

無駄なことを一切排除した生活。

 

女の子との遊びも、大学、高校の友達との遊びも、バスケも、サークルも、ファッションも、読書も、おしゃれなカフェめぐりも、ぐうたらする毎日も、好きなもの何もかも全て捨てて

会社で成果を出すために、睡眠時間、栄養素の数値化、食べ物の咀嚼回数などなど、できる限りの全てをマネジメントして結果にコミットして、ひたすらに追い詰め続けた結果鬱になったり、周りの人に厳しくなりすぎたり・・・。

 

そうして精神的にも肉体的にも限界すれすれだったなー。

と今振り返れば。

 

死んでもおかしくないタイミングも実際にいくつもあったし。

でも振り返ればいい思い出で全ての人に感謝しないといけないなと自覚している自分もいます。

 

 

でもこうして振り返ると、

そうした環境に身を置きすぎたせいで結果にこだわりすぎるように。

その代償としてそれ以外のものを信じれなくなっていた自分がいました。

 

 

そしてその結果、以前お世話になった方に大変失礼なことをしてしまい、

その方のご好意を踏みにじってしまいました。

 

それもこれも、

先にある結果にばかり目がいってしまい、

目の前のその人の気持ちを察することができなかったからだと感じていて、

これが結果にこだわりすぎる弊害なのだと痛感しました。

 

 

結果にこだわる、努力する、根性を出す。

それはもう十分だなと。

 

 

その姿勢は大事にしたいし、これからも大事にしていきたい自分の性質。

でもこれからは染み付いてしまった成果主義から脱却して、

 

プロセスを大事にできる人になりたい。

 

たとえ自分に具体的なメリットがないとしても、

どうすれば目の前の人に幸せになってもらえるのか?

今この瞬間を楽しむためにはどうしたらいいのか?

 

具体的な見返りがなくてもそういうことができる人になりたい。

 

 

 

そして最終的に、

何もない自分でも、多くの人に力を貸してもらえるような

そんな自分になろうと決めました。

 

 

人としての多様性を深めるために世界一周も来年くらいに、本格的に視野に入れて、

まずはシェアハウスを最高にいいものにする。

 

そして目の前の現実を変える努力をする。

それと同時に今を楽しむ。

さらに具体的すぎない抽象的な未来に柔軟に向かっていく。

 

 

 

これからこんなかんじ。

っだ!!